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大学の授業が終わり、トモコは天気の崩れた空の下を歩いて〇〇百貨店にやって来た。 ユキエに『合わせ屋』がいると言われた〇〇百貨店とは、大学から歩いて10分程の所にある、少々寂れた4階建ての建物である。 少し前までは平日でも客がよく来たそうなのだが、今では不況の影響もあってか店内はガラガラ。 トモコが軽く見回してみても、視界に入ってくる人影の数は二桁を超えない。 「なんか、既にもうダメな臭いがプンプンしてくるような……」 4階に上がるためのエレベーターに乗り込みながら、彼女はぽそりと呟く。 やっぱり、ユージとのタイミングなんて合わないのだろうか。 うつむきがちに暗い気持ちでそう考えていたトモコは、エレベーターに乗り込もうとしてきた半袖シャツ姿の男に気付いていなかった。 「ちょっ! イタタタ!?」 閉じ始めたドアに半身をはさまれ、苦しそうにもがく男の悲鳴は、トモコの悲鳴を呼び起こす。 「ひゃっ!?」 「お願い、お願いだから開けてチョーダイ!」 「ふぇっ!?」 ドア内部に突っ込んでいる方の手で、男はボタンを押す仕草をする。 「ほ、ほら。ポチッとな、ポチッとな!」 「ポチッとな!!」 ようやく我を取り戻したトモコは、慌てながらも『開』ボタンを押した。 静かにドアが開く。 静寂の中に、男の気の抜けた声だけがひびいた。 「ふぅ〜」 「大丈夫ですか?」 「気にするこたぁ、ないさ。こういうタイミングなんだから」 上昇中のエレベータの壁の横にもたれかかりながら、男は弱々しい笑顔を見せた。 「でも、普通エレベーターって人をはさんだらセンサーで止まりますよね……?」 前に一緒に買い物に行って、ユキエがエレベーターにはさまれた時はなんともなかったのに。 トモコはエレベーターの内装を見回して、かなり古そうなことに気づく。 「誤作動でも起きたんでしょうか。とにもかくにも整備不良ですね、コレ」 「ははは、それもまたタイミングなのさ」 「でも」 「いいのいいの」 男ははさまれていた肩をさすりながら笑い続ける。 しかしトモコはどうにも納得が行かない。 どうしてこの男は、怒っていないのだろうか。 考えていたら、小さなベルの音がして4階への扉が開いた。 二人はそのままエレベーターから出て、すぐ横へ曲がる。 そこにあるのは、屋上へと続く階段である。 (こんな風に同じ方向に向かうのも、タイミングなのかな) 考えながら、トモコは男の後ろ姿を追いかける形で、屋上へとやってきたのだった。 ◯ 曇り空が地上にいた時よりも近くにあるからだろうか、圧迫感すら感じる。 屋上にあったのは、わずかな遊具と自販機のみ。 そこにいる人間は二人。 トモコと男である。 男は落下防止のためのフェンス近くのベンチに座って眼を閉じている。 あの、若そうで年老いていそうな男は何を考えているのだろうか。 トモコにはよく分からなかった。 ただ、なんとなく気まずい感じがしたので、自販機で缶コーヒーを2本買って男の元に歩いていった。 「これ、どうぞ」 「むっ?」 トモコに声をかけられて、男はカッと目を見開く。 まさしく開眼だ、とトモコは思った。 「助けてもらったのは俺の方なのに、飲み物までおごってもらえるとは……」 「たまたま、たまたま。これもタイミングですよ」 頭をぼさぼさとかく男に、彼女は笑いながら缶コーヒーを手渡す。 「いやぁ、面目ない」 「心の広い人って、憧れるんです」 そのまま隣に座って、トモコは缶コーヒーのフタを開けながら言う。 「私、彼氏がいるんですけど、全然予定が合わなくて会えないんです」 「ほう」 「仕事が忙しいからしょうがないんですけど、やっぱり寂しくて。だから、そういうことも許せる広い心が欲しいなって」 ユキエが口走っていた浮気だが、トモコはそれを四六時中考えていた。 ユージが浮気などする男ではないということは、自分が一番分かっているはずなのに、疑ってしまう。 そんな自分が悲しかった。 「そうだな……俺がなんとかしてあげよう」 「えっ?」 缶コーヒーをグビッと一気飲みして、男が自信ありげにトモコに言った 「君と君の彼氏さんの、タイミング。合わせてみましょう」 ◯ 「も、もしかして」 トモコはユキエの話を思い出す。 『合わせ屋』は〇〇百貨店の屋上に、たまに現れる。 今この場に、自分と目の前の男以外に人はいない。 つまり―――― 「あなたが『合わせ屋』さんですか?」 「そう呼ばれることもあるっちゃあるよ。俺はとくに名乗ったりしないけどね」 「じゃぁホントに、私と彼のタイミングを?」 「あぁ。合わせてやるっきゃナイトでしょ。君には色々借りができちゃったし」 男は飲み干した缶コーヒーを軽く振りながら笑う。 「君は広い心が欲しいと言ったね。それ、もう手に入ってるんじゃない?」 言いながら立ち上がり、4階へ降りるための階段へと駆けていく。 「とにもかくにも、お幸せに!」 「あっ……待って下さい!」 『合わせ屋』に会えた事実、それに心奪われて放心していたトモコが我に返った時にはすでに、男は消えていた。 空虚な屋上にただ一人残されたトモコは、しばらくの間男が走っていった方向を見つめていたのだった。 |