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 曇一つない、真っ青な空が広がる日。
 午前中の授業が終わり、トモコとユキエはいつものように大学内の広場に座り込んで昼食を食べていた。
「ユキ、これあげるよ」
 ハンドバックから小さな紙箱を取り出し、そこからさらにゴツゴツとした焦げ茶色のドーナツを取り出してトモコが言う。
「えっ、いいの?」
「うん。今日ここ来るときにさ、100円セールやってて思わずたくさん買ってきちゃったんだ」
 トモコが箱のふたを広げると、そこには7つほどのドーナツがわんさかつみ上がっていた。
「でも……」
「どうせ私一人じゃ食べきれないよ。それに、無理して食べても太っちゃうし」
「あっ、そうだよね。トモ彼氏いるもんね」
 トモコの恋愛事情を察して、というより思い出してユキエはドーナツを受け取る。
 もうだいぶ前から付き合っているらしいのだが、中々近況を話してくれないので忘れかけていたのだ。
「うん、一応ね」
 自身も細くて白いドーナツを手にとりながらトモコは小さく頷いた。
「一応? もしかして破局寸前なの?」
「違う、もっと酷いかも」
「もしかしてフラれた?」
 もしゃもしゃとそこそこ豪快にドーナツを咀嚼しながら、ユキエはトモコの顔をのぞき込む。
「ううん。フラれてすらいない」
「どういうこと?」
「会えないんだ」
 言いながら、トモコはハンドバックに手を突っ込み、少しまさぐってから携帯を取り出す。
「会えないって?」 
 そのまま軽快な音を立てて開かれ、疑問を浮かべたユキエの顔前に突き出された携帯の画面に映っていたのは、メールの送受信ボックスだった。
「見てみて」
「うん」
 突き出された携帯を受け取って、しばらくボタンを押しながら無言になっていたユキエだが、その表情はどんどん曇っていく。
「これって……」
「ユージいつも仕事で忙しいみたいなの。最近全然会ってないんだ」
「だけど、いくらなんでもこれは……」
 気軽に苦笑するトモコだが、ユキエはとてもそんな気にはなれない。
「『仕事だごめん』『仕事だごめん』『仕事だごめん』……って全部仕事でデート断わられてるじゃない! もしかして付き合い始めてから一回もデートしてないの?」
「うん。一応ね」
「トモ、アンタ少しは怒った方がいいよ! 彼氏が浮気してたらどうすんのさ!?」
 手に持った携帯電話を勢い良く振りながら、ユキエは声を荒らげる。
 トモコの言った『破局寸前より酷い』という言葉の意味が痛いほどよく分かる。
 これでは付き合っている意味が無いではないか。
 トモコがそんな中途半端な付き合いによって、そこから生まれる寂しさに苦しめられていたこと考えると、とてもじゃないが冷静でいることはできない。
「うん、確かにユキの言うとおりだと思う。でも、ユージ仕事がすごく上手くいってるみたいなんだよ」
 怒るユキエをなだめながら、トモコは笑いながら携帯電話を閉じた。
「トモの彼氏って、外資系だっけ?」
「うん。最近業績がすごい伸びててとっても忙しいんだって」
 その笑顔の中に、かすかな寂しさがあったのをユキエは見逃さなかった。
「でもさ、少しぐらい休みは貰えてるでしょ? 流石に365日全部が仕事ってわけじゃないんだし」
「そうなんだけど……」
「だけど?」
 消え入りそうな声のトモコの顔を、ユキエは再びのぞき込む。
「タイミングが合わないの」
「タイミング?」
「うん。もう滅茶苦茶に合わないの」
「どゆこと、それ」
「例えばさ」
 トモコはコンビニでおなじみのサンドイッチの袋をゆっくりと開き始める。
「ユージが予定空いてる日には、私の方に必ず予定が入ってるの。外せない大事なゼミとか、テストとか」
「そんなの、たまたまでしょ」
「ううん。もういつもそうなんだ。付き合い始めてから予定が合った試しがないの」
 間に卵を挟んで、二枚のパンがピッタリと張り付いているサンドイッチ。
 それを両の手の平で抑えながら、トモコはため息をつく。
「こんな風にピッタリと二人のタイミングが合ってくれればなぁ……」
 やはりトモコはストレスを感じているらしい。
 力が込められて間の卵が若干飛び出している。
 そんなトモコを気の毒に思ったユキエは、ある提案をすることにした。
「ねぇトモ。アタシそれならいい方法知ってるよ」
「えっ」
 言いながら、ユキエは思い出していた。
 どんなタイミングも合わせてくれる、『合わせ屋』の存在を。

 
 ◯


 この世の中には、タイミングが合うことで得をする人間が数多くいる。
 例えば、野球選手はホームランを打てるタイミングを欲するだろう。
 例えば、デイトレーダーは自分の株が最も高く売れるタイミングを欲するだろう。
 例えば、政治家は自国が有利になるような戦争の起きるタイミングを欲するだろう。
 とにもかくにも、すべての人間は自分に都合よくタイミングが合うことを欲する。
 そして、そんな欲求にこたえる人間がいる。
 それが『合わせ屋』である。


 ◯


「実は結構有名なんだよ。あの某有名野球選手も、その人に会ってから打率が倍以上になったって」
「本当にそんなことがあるの? 都市伝説じゃないの?」
「確かに、実際に『合わせ屋』に会ったことがある、って人の話は聞いたことがないよ。だけどさ、火のない所に煙は立たぬ、とも言うじゃん」
 ユキエが『合わせ屋』の存在を知ったのは、数年前にある週刊誌でたまたまその特集記事を読んだ時である。
 記事によると、業界で成功しているすべての人間は『合わせ屋』というものに遭遇して、ここぞという時のタイミングを合わせてもらっている、と言うのだ。
 確かに成功のための勝負というものにはタイミングが付き物だ。
 サッカー選手がシュートをゴールに決められるのも、ここぞというタイミングでボールを蹴っているからである。
 けれど、その記事はあくまでも推測を押し並べているだけだった。
 実際に『合わせ屋』と会った人間は誰もいないらしい。
 それでも、当時は多いに話題となったのである。
 いつしかその噂には、尾ひれがつく。
「この大学の近くにさ、〇〇百貨店ってあるじゃん。そこの屋上でたまーにやってるらしいよ」
「本当に?」
「本当かどうかはわからないよ。トモの言うとおり、今じゃすっかり都市伝説の一つになっちゃってるから」
「ユキは行った事ないの?」
 目を輝かせ始めたトモコに、ユキエはため息まじりに答える。
「行ったよ。だけど、会えたことはないね」
「そっか」
「ま、運試しと思って一度行ってみなよ。もしかしたらいるかもしれないじゃん?」
「うん。ダメ元で行ってみる!」
 ようやくトモコがひまわりのような笑顔を取り戻し、元気になってくれたのでユキエはそっと胸をなでおろした。
 トモコもトモコで、ユージと会えるかもしれないという見通しが立ち、心が弾んでいる。

 しかし、空が次第に曇り始めていた事に二人はまだ気づいていなかったのである。

 

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