- ズッコケない三人組 -
「いててて……」
 先程バレンタインに蹴り飛ばされせいで、右腕が少し痛む。
 興四郎はそこをさすりながら二人を見比べる。
(乱暴な黒髪の女の子と……生意気そうな男の子か)
 脳内で大体合っている偏見を見出していたら、バレンタインが心配そうな顔でのぞき込んできた。
「大丈夫ですか?」
「ん、あぁ。何とか」
 興四郎が答えると、よかったぁと少し微笑んでから言葉を続ける。
「突然攻撃してしまってすみません。私はMPS協会のエスプレッソ・バレンタインといいます」
「えっ!?」
 バレンタインの自己紹介に興四郎は驚いてしまった。
 その名前――――エスプレッソ・バレンタイン、その名前は確かに聞いたことがあったからだ。
「君、もしかしてエスプレッソ・サムの孫だったりする?」
「はい、サムは私のおじいさんですけど」
 なんでもないように答えるバレンタインだが、さらに興四郎は驚いてしまった。
「ほ、本当に?」
「本当の本当ですけど」
 バレンタインはあまり良く知らないが、サムは興四郎の師であるマドレーヌの師であり、過去に数多の賞を総ナメにした天才パティシエとして世の中には知られているのだ。
 だが突然、彼は引退を表明してからシャンゼリゼ通りの端でひっそりとお菓子屋を経営して今に至る。
 その引退の理由は今でも明らかになっておらず、もはや業界では伝説扱いされているのだった。
 そして興四郎はマドレーヌから、サムの孫でバレンタインという少女もまた天才なのだと話を聞いていた。
 と、いってもその天才とはバレンタインがまだMPS協会に入ったばかりの頃の話なのだが、そんなことを彼は知るはずも無く、ただその事実に驚くのみなのである。
「僕の方こそ謝るべきだ。すまないバレンタイン。君がサムの孫だと知らなかったんだよ」
「いやいや、おじいさんの知り合いに悪い人なんていませんから。私が悪かっんです」
 謝り合う二人の横で、カカオは鞄からチョコレートを取り出して食べていた。
「それに確か、林永製菓の御曹司とか言いましたよね? もしかして……」
 だが、それをバレンタインがひったくる。
「あっ」
「もしかして、この会社のことですか?」
 カカオが食べていたのは、まさしく林永ミルクチョコレートだった。恐らくMPS協会が調査のために取り寄せたものの中から偽造されていないものを持ってきていたのだろう。どこにそんな余裕があったのかは知らないが。
「あぁ、そうだけど。嬉しいな、ウチのチョコをわざわざフランスで買ってくれてるなんて」
 バレンタインが突き出した板チョコを見て、興四郎がうなずく。
「ちょっと話があるんですけど、いいですか?」
 だが、彼が喜んでいる場合でないのはバレンタインとカカオが一番分かっている。
 ビター伯爵がやっている偽装によって各種製菓会社が経済的に打撃を受けるのは目にみえているわけで、それを伝えるのにその会社の御曹司が一番の近道であるのは明白だ。
 二人は興四郎の腕を引っ張って柱の影に入れさせた。
 戸惑う彼に構わず真剣な面持ちでバレンタインは口を開く。
「おい、なんだなんだ」
「いいですか、さっき私がビター伯爵と言った男はあなたの会社を潰そうとしてるんです」
 だが、そんな話を最初からまともに信用してもらえるはずもない。
「はぁ、いきなり物騒な話を持ち出してくるんだね。大体さっきから君が言ってるビター伯爵ってのはウチの会社に恨みでもあるのかい? もしかして明智製菓の回し者?」
「どれも違います。アイツはただ甘いものが嫌いなんですよ。だから甘いものをこの世から抹殺するのには手段を選ばずなんでもする奴なんです。今日本にカカオ99%チョコレート工場なんてものを建造して―――」
 と、彼女が必死に説得しても、興四郎は口元に笑を浮かべ始めた。
 それを見てバレンタインは少しいらつきを感じてしまう。
「別に面白い話じゃないんですけど。何笑ってるんですか」
「いや、失礼。あまりにも非現実過ぎて」
 口に手を当てて首を振る興四郎をどう説得したものかと、バレンタインは悩む。
(やっぱりイキナリは信用してもらえないわよね。でも、どうせここから同じ日本に行くんだし……)
 考えていたら、カカオが新聞を持ってきた。
「バレンタインさん、これを見てもらえば話が早いですよ」
「あら、ありがとカカオ。たまには役に立つのね」
 無表情で礼を述べ、新聞を受け取るバレンタイン。
「いや、一応僕あなたのサポーターなんですけど……」
 彼の役目は、彼女にとってどうやらたまに発揮されるものらしい。
「これを見てください。フランス語話せるんですから読めますよね?」
「はぁ……」
 手渡された新聞の一面を興四郎は黙々と読み始める。
 そこから彼が驚くまでにさほど時間はかからなかった。
「なんだこれ! こんなふざけたことがこの国で行われてたのか!?」
 ちょっと大げさだが、彼からしてみれば会社にとって非常にまずいことである。
「今思ったんですけど、新聞見てないんですか?」
 こんなにデカデカと一面を飾っているのに気付かないこともないだろうと、バレンタインは思う。
「そうですよ興四郎さん。あなたの目はフナムシなんですか」
「おい、それフシアナの間違いだぞ。つまんないから黙ってて」
 カカオに睨みを利かせてから、興四郎は言った。
「残念ながら新聞とかそういうものに時間を割く暇が無くてね。四六時中勉強してたから」
「あら、そうなんですか。勉強ってやっぱり私のおじいさんのようなお菓子屋さんの?」
 バレンタインは極上のスイーツに囲まれている割にはあまりパティシエなどの専門職などには興味が無い。幼い頃から長年MPS協会に所属しているから故なのだ。
「まぁ、そんな感じかな」
「それなら、ぜひ今度あなたのスイーツを食べさせて欲しいです。楽しみにしてますから」
 おじいさんの知り合いとあらば、きっと美味しいスイーツが期待出来ると踏んだバレンタインだが
「いやいやいやいや、俺の作ったスイーツがあのベアーサムのお孫さんなんかの口に合うわけがない」
 かなり先の話になりそうだ。
「とにかく、日本についたらまた行動を共に――――できたら私たちのお手伝いをしていただきたいんです。林永製薬が協力してくれれば、ビター伯爵の秘密工場もすぐに見つかるかもしれません」
「あぁ、俺も親父に連絡しておくよ。向こうについたらすぐに行動が出来るような手はずを整えたい」
 興四郎はスマートフォンをかざして、その握る手に力を込める。
「教えてくれてありがとう。それじゃ、また日本で」
「えぇ、こちらこそ」
 三人は二人と一人に分かれて飛行機に向かった。
 

 

前へ  戻る  次へ