- シックスセンスなんてただの飾りです -
 24時間稼働し続ける国際空港。パリの灯は今日も絶えることが無い。
 毎日沢山の人間がここから飛び立ち、ここへ戻ってくる。
 そんな場所に、カカオはへとへとになって辿り着いた。
 
「はぁ……はぁ……」
 フライトは10時きっかり。
 と、バレンタインから連絡があったのだが。
「さて、今は何時でしょう?」
「驚かせないで下さいよ、はぁ、バレンタインさん、はぁ」
 へたり込むカカオの目の前で、シンプルなブラウンコートを着込んだバレンタインが財布を弄びながら笑う。
「9時半よ。よく頑張ったわね。機内食でオレンジジュースを一杯おごってあげてもいいわ」
「ありがたいです……沢山飲ませていただきます」
 カカオは両手を頭の上で合わせ、まるで天に祈るように頭を下げて
「あ、もちろんSサイズ一本よ」
 そのまま沈黙した。
 近未来的なラウンジのど真ん中でうずくまる少年と仁王立ちの少女。
 他の空港利用客がその近くのベンチに座るのを避け続けたのは言うまでもない。
 
 
 ◯
 
 
 荷物チェックを終え、二人は飛行機に乗り込もうと搭乗口へ向かった。
「ワクワクしてきたわね、カカオ」
「僕は今日心拍数がこれ以上上がったら死にます」
 周りにはフランス観光の帰りだからだろう、やはり日本人が多い。
 そしてその中に一人、スーツ姿の青年が混ざっていた。
(またメールだよ……あの人メール送りすぎだって)
 と、とあるスマートフォンの画面を睨みながらタッチしまっくているこの男、別にカカオのメル友ではない。
 彼の名前は、林永 興四郎(はやしなが きょうしろう)
 林永製薬の四代目にして、現在パティシエの修行を積んでいる身である。
 林永家では代々、次代当主の若い間にこうして世界中の菓子の極意を学ばせる習わしがあるのだ。
 興四郎も例外なくここフランスに来ているのだが、年末ぐらいは日本に帰ってきて少し休め、と社長である父親から連絡が入ったためしぶしぶこの空港にやってきたわけである。
 だが、メールの相手は父親ではない。
 彼が習っているパティシエの先生が大のメール好きのため、突然の帰国に悲しみの気持ちを込めたメールをメールボムの如く送りつけてくるのである。
(だから日本には帰りたくないって言ったのに……)
 と自分の決断を後悔している興四郎だが、自分がこうしてフランスで勉強出来ているのも親の出資があってこそ。無理難題でもなんでもない父親の要求に逆らうわけにはいかないのだった。
(マドレーヌ先生は、後で日本のお土産をわんさか送って黙らせよう……)
 彼の師であるマドレーヌはパリ随一の凄腕パティシエとして第一線で活躍している女性であり、とにかく興四郎がお気に入りなのだった。
 もちろん興四郎も彼女の事を気に入ったのだが、その代わりメールが嫌いになった。
 一時期はマドレーヌのメールアドレスを迷惑メールリストに登録もしたが、それを師に対する反抗として父親に通告された。そのためすぐに解除し、結局メールの呪縛からは離れられなくなってしまったのだった。
「あぁ、女ってなんでこんなに面倒くさいんだよ……」
 一人でブツブツつぶやきながら画面をただひたすらタップし続ける興四郎。
 彼は搭乗口へと向かいながら視線は画面に釘付け。前を見ていなかった
「きゃっ!」
 ので、案の定目の前を歩いていたバレンタインにぶつかった。
「あっ、すいません!」
 前方から聞こえた女の子の短い叫び声に、興四郎とっさに頭を下げて謝る。
 だが、バレンタインのすぐ横にいたカカオが彼を睨みつけ
「ま、まさかビター伯爵の刺客!?」
 などと言ってしまったからたまらない。
「くたばれビター!」
「えっ!?」
 すぐさま右から迫って来た太ももに吹っ飛ばされた。
 キャリーケースと共にごろごろと転がっていく興四郎。
 幸い床はカーペットなので頭を打つことは無かったのだが、彼はそこまで穏やかな性格では無いため
「痛っ……いくらなんでも蹴ること無いだろ! 」
 と、起き上がるなりバレンタインに怒鳴りつける。
「不意打ちをしてくるあなたの方が無いわ。さっさと降伏しなさい」
「そうですよ〜。バレンタインさんに逆らっても顔に穴が開くだけですからね」
 対してバレンタインはつかつかと興四郎に近づいて来る。
 口の端をひきつらせているその表情は、あまり女の子らしいものではない。
「名乗りなさい。あなたは誰なの? どうしてビター伯爵の手先なんてやってるの? それともビター伯爵が変装」
「誰だよビター伯爵って!? 俺は林永興四郎、ただの日本人だ!」
 バレンタインがねちねちと問いただしてくるのに耐えられず、興四郎は大声で叫ぶ。
「まさか俺が林永の御曹司だから人質にでも取るつもりか!? 通報するぞ!?」
 言いながら、フランス警察への電話番号を入力したスマートフォンの画面を二人にかざす。
「え……? もしかして人違い?」
「当たり前だ! 俺はビター伯爵もベター伯爵も知らない!」
 スーツをはたきながら立ち上がり
「お前らは一体何なんだ!」
 と、二人を睨みつける。
 そんな興四郎に、今度はバレンタインが頭を下げる。
 勘違いとは恐ろしいものだ。
「ご、ごめんなさい! 間違えちゃいました!」
「あはは、さらばなりー」
 火種のカカオがいつの間にか搭乗口へと歩き出していたが、もちろんバレンタインが気づかないはずも無く
「待ちなさいカカオ!」
 と首根っこを掴まれて横に並ばされた。
 そんなドタバタ二人組の前で、興四郎は嘆く。
(はぁ……だから日本には帰りたくなかったのに……)
 
 
 ――――どうやら興四郎、前方不注意はしでかしたが、第六感はよく働くようだった。


 

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