- がんばれカカオ! パリ道中 -
司令室を飛び出したバレンタインは、カカオを引きずりながら三階へと階段を駆け下りる。 目指すはメグのデスク。日本行の航空機を予約してもらうためだ。 「あうあ、うあうあう、バレンタイン、さん、僕でこぼ、こになっちゃ、います、よ」 階段の段差で不規則に跳ね続けるカカオがかろうじて彼女に身体の危機を訴える。 「男は傷物の方が光るのよ!」 それを一蹴して、バレンタインは三階のデスク群を駆け抜けた。 「メグ!」 「ふぇっ?」 名前を呼ばれてメグが飛び起き、おさげが空を乱舞する。 「お仕事してもらえるかしら?」 「もちろんだよ! バレンタイン!」 まだ小さいとはいえ、彼女もまた立派なスイーツトレジャーの一員。 すぐにパソコンを起動しながらバレンタインに指示をあおる。 「なになに? なにをすればいいの?」 「ド・ゴール国際空港から日本に発つのに必要な予約一式。あとよろしくね!」 言い終える前にバレンタインは自分のデスクへとダッシュで回り込み、そこで勢い余ってカカオをすっとばし壁の近くにあったゴミ箱に見事ヒットさせた。ボーリングなら間違いなくストライクが出ていただろう。 「ふぎゃっ!」 「あなたもさっさと準備をして頂戴、カカオ! すぐにここを出るわよ!」 バレンタインはデスクの上にあった持ち物を、横にかけてあった大きなバッグに全て流し込む。 一方カカオはやっとのことでひっくり返ったゴミ箱の下から這い出してきながら嘆く。 「こんなに急ぐ必要ありませんよ……そんなに日本が好きなんですか」 「当たり前じゃない! ここに来る前からずっとうずうずして仕方なかったんだから!」 バッグを肩に背負いながら、彼女は満面の笑みでそう宣言した。 「だけど――――」 が、そこで表情を暗転させる。 「何よりビター伯爵のずるがしこさに怒り心頭よ。チョコレート工場の秘密は私のバイブルなの。それを汚されたら黙っていられないわ!」 怒りで顔を桜色に染める。いや、アメリカンチェリーと表現した方が的確かもしれない。 「あぁ、僕も見ましたよチャーリーとチョコレート工場。幸せな一時間五十五分でした」 思い出したように舌舐めずりするカカオだが、それをバレンタインが一喝した。 「それは二回目の映画化作品でしょ!? あなたとこの話題は当分語れそうにないわね!」 肩を上下させながら、彼女はつかつかとエレベーターへと歩いていく。 「私先に行ってるわ。おいていかれたくなかったらタクシーよりも早く走ってきなさい」 「え? ちょっと待って下さいよ。僕は筋肉モリモリのアスリートでもなんでもないんですけど」 「問答無用。じゃ、頑張って頂戴ねカカオ」 バレンタインの乗ったエレベーターのドアが 「ちょ、バレンタインさーん!?」 何とか乗り込もうとダイブしたカカオの顔前で閉じる。 静かになったデスクの森に、鈍い音が鐘の様に鳴り響いた。 「……カカオさん、ご愁傷様です」 キーボードに指を走らせながら、メグは軽い黙祷を捧げたのだった。 ◯ ライトアップされ、金箔のような落葉が舞い散るシャンゼリゼ通りをひた走る少年が一人。 「ふっ! はっ! ふっ! はっ!」 名をカカオという。 「ふっ! はっ! ふっ! はっ!」 少年のくせに年齢35歳独身。 「ふっ! はっ! ふっぷ! はっ!」 救いようの無い下ネタを連発するのが特徴である。 「ふっ! はっ! ふっ! はっ!」 目指すはパリ郊外に位置するシャルル・ド・ゴール国際空港。 「ふっ! はっ! ふっ! はぶっ!」 フライトに間に合わないと経費は全て自持ちよ、というバレンタインからのメールが彼の尻に火を付けた。 「ふぶっ! はっ! ふっ! はっ!」 かれこれ20分以上彼は走りっぱなしである。 「ふっ! はっぶ! ふっ! はっ!」 口から色々な物が飛び出して通行人の目を引いて引かせたが、そんなことは彼にとってどうでもいい。 「ふっ! はっ! ふっ! はっ!」 今の彼の至上命題はフライトに間に合うこと。 「ふびっ! はっ! ふっ! はっ!」 ただそれだけなのだから。 「ふっ! はっ! ふっ! はっ!」 ちなみにタクシーは使わなかった――――いや、使えなかったのだ。 「ふっ! はっ! ふっ! はっ!」 彼の財布はいつのまにかバレンタインと共に移動していた。 「ふっ! はっ! ふぶっ! はっ!」 どうやら彼女、カカオに対して色々と思う事があるらしい。 「ふっ! はっぷ! ふっ! はっ!」 その思惑がよりによって、この今実行されたのは彼にとって誠に遺憾である。 『頑張れカカオ。君ならできる』 と声援を送る者は誰もいなかった。 皆、道を譲ることでその気持ちを彼に表したのだろう。 「ふっぷ! はっ! ふっ! はぶっ!」 ――――ロンリーランナーカカオ。彼のロードマップは前途多難なのだ。 |