- 気分はもうチョコレート戦争 -
ブラック・ビター伯爵。 甘いものが世界で一番大嫌いな大悪党である。 その悪事の数々は、過去に何度もお昼時のワイドショーを賑わせていた。 彼はとにかくこの世界から甘いもの――――つまりはお菓子を抹殺するために日々格闘している。 ある時はスイスのお菓子工場を襲撃し、ある時はイギリスのウォルマートに陳列されていたお菓子を大量に盗んで海に破棄した。その大胆かつ卑劣な行為は彼を崇拝する者さえ生み出してしまい、一時期世界は大混乱に陥った。 しかし、ここにいるバレンタイン・カカオのビター伯爵討伐任務によってその悪事は阻止された。 今から二年前のことである。 その当事者である二人だからこそ、タルトの話を信じることが出来ないのだ。 「ビター伯爵は二年前に私達が」 「マシュマロまみれにして警察に引き渡したはずですよ」 バレンタインの言葉を引き継ぎながら、カカオは携帯を開いて画面をタルトに見せつけた。 「ほら、見てくださいこの哀れな姿。僕達に土下座してるんですよ? わかります?」 得意調子のカカオのだが、ついさっきバレンタインに土下座をしていたのはすっかり忘れているらしい。 変り身の早い奴だ、とバレンタインは深い嘆息をつく。 そしてタルトはタルトで、目の前に思い切り突き出された携帯を邪魔そうにどける。 「その報告写真は嫌になるほど見た。もうやめてくれ」 この司令室中にこの写真が貼られていたのは最早MPS協会の伝説であり、すべてカカオの仕業である。 壁一面がマシュマロだらけの部屋で毎日生活すれば、タルトの苦しみも分かるはずである。 「それなら会長もよくわかっていると思いますが。ビター伯爵が今現れるなんてありえませんよ!」 語気を荒らげるカカオ。彼は本当にビター伯爵が嫌いである。 というのも彼のお気に入りのお菓子メーカーの工場が破壊されて、半年間そのお菓子を食べれなかったからなのだが。食い物の恨みは恐ろしいとは言ったものである。 「わかったわかった。とりあえず落ち着きなさい」 そう言ってタルトが指をパチンと鳴らすと、テーブルから二つのドーナツが飛び出した。 それから立ち上がり、彼は後ろにあったポットで紅茶を入れ始める。 「お前達の活躍には非常に感謝している」 入れながら、タルトは話し始めた。 「確かにビター伯爵は、このフランスの刑務所で服役中のはずだった。だが、脱獄したんだ」 「だからそれがありえませんって」 容赦なく食いかかるカカオ。バレンタインは隣でしずしずとドーナツを食べている。 「残念ながら、あいつは服役中に日本のアニメを見て脱獄の手段を学習してしまったらしい」 コトン、と静かに紅茶を二人の前に置きながらタルトはうつむく。 「はぁ……今時の刑務所ってテレビが見れるんですか」 あきれながらカカオは紅茶をすする。 「むしろテレビでも見させておかないと暴れてかなわないそうだ。しかし、皮肉なことにそれがあいつを脱獄へと導いたんだがな」 再びどっしりと椅子に座り、タルトはひげをいじくりながら笑う。 さっきよりもピンと張っていないのは気のせいだろう。 「何でも怪盗アルセーヌ・ルパンの孫が主役のアニメが放映されていたそうだ。馬鹿らしいにもほどがある」 「ふぁっ、ふぉれならわたししってまふよ」 紅茶とドーナツを交互に処理していたバレンタインが、目をしばたたせて手をあげる。 口には残りのドーナツを挟んでいる。 それをゴクンと飲み込んでから、再び口を開く。 「日本では国民的アニメなんです。ある街ではみんな赤いシャツと黄色いネクタイをして歩くんだそうですよ」 「へぇ、ぜひとも写真に収めたい光景ですね。それ」 カカオが携帯のカメラを構えるふりをして意気込むが、無駄になることは間違いない。 二人は空になった紅茶のカップをおかわりと言ってタルトに突き出し、再び並々注いでもらう。 「さて、そろそろ本題に入る」 ポットを置いて、タルトはテーブルの上で両手を組んだ。 ◯ 「脱獄したビター伯爵は先程言った通り、日本へ向かった」 「もしかして日本のお菓子工場を次々と襲撃してるんですか?」 ヨーロッパでMPS協会の邪魔が入るならアジアで悪事を働こうという魂胆だな、とカカオは予想し、もちろんバレンタインもそう考えていたのだが 「違うんだ。まずはこれを見てくれ」 タルトはふところから一枚の板チョコレートを取り出して二人の前に置いた。 その板チョコをただ見つめるバレンタインとカカオ。 「これが……なんだというんですか?」 パッケージには日本語で『林永ミルクチョコレート』と書いてあるが、もちろんカカオには読めない。 しかしチョコレートであるということは分かる。 「日本のチョコレートですね。母がたまに食べてます」 バレンタインは何度かこの板チョコを見たことがあった。 「食べてみたまえ」 無表情に顎で勧めるタルト。 「はぁ」 カカオは訝しげに板チョコの包装をはがし始める。 一番外側の紙を破き、端の銀紙をむしってチョコを取り出す。 それをポキポキと表面の起伏に合わせて折り、バレンタインに一欠片を渡してから残りを口に放り込んだ。 「……………」 バレンタインも続いて放り込み、部屋には咀嚼の音だけが残った。 「……………」 「どうかね?」 と、タルトが尋ねる前にカカオが噴き出した。 「ぶへっ! 何ですかコレ!? 泥ですか!?」 どう見てもチョコにしか見えないそれは、甘さが皆無で苦さ満点。味を表現するならまさしく泥以外の何ものでもない。 たまらずカカオは紅茶を口に含んで胃に流し込む。 バレンタインも噴き出しすらしなかったものの、急いで目の前の紅茶カップに手をかけたのだった。 その様子を満足げに見るタルト。 「紅茶を用意しておいて正解だったよ。今君達に食べてもらったそのチョコレートが、今回の事件の主役なんだ」 悠々と話す彼の目の前で少女と少年が苦しそうに咳き込んでいる。中々シュールな光景だ。 「けほけほ……これ本当にチョコレートなんですか?」 口にハンカチを当てながらバレンタインが尋ねる。 「あぁ、正真正銘、カカオ99%のチョコレートだ」 言いながら、タルトはまたふところからチョコの箱を取り出した。 確かにそこには99%の文字がデカデカと書いてある。 「日本で開発されて販売されていたものだが、これがビター伯爵に悪用されたのだよ。あいつは今日本にある自前のカカオ99%チョコレート工場で偽造チョコの大量製造を行っているらしい」 「さ、最悪のオマージュですね……しかもセンス無さ過ぎ……」 カカオは口をへの字に曲げている。 「こうして偽造パッケージで販売されたことにより、世界中の罪の無い子供たちがこの苦いチョコに文字通り苦しんでいるんだ。見たまえ」 タルトがテーブルの下から取り出した新聞には、地獄絵図が広がっていた。 それを見て、バレンタインとカカオはわなわなと震え始める。 「たくさんの子供たちがチョコレート拒否反応を示すようになってしまった。これではマスタースイーツどころではない。この世界のすべてのお菓子が滅びてしまうことだってあるかもしれん」 「やだ! そんなの絶対やだやだ!」 駄々をこねるカカオ。 そしてバレンタインはテーブルに思い切り拳をぶつける。 「い、今すぐビター伯爵をぶっ飛ばします! どこにいるんですかアイツは!」 「だ、だから日本だ」 ひるみながら、タルトは答える。 「だからどこに!」 日本のどこだと聞けばよいのに、すべてを省略するバレンタインはもう心ここにあらずである。 「いやだから日本だって」 「ああもう! 行くわよカカオ!」 カカオの首根っこをつかんで、怒りに燃えるエスプレッソ・バレンタイン16歳は部屋を飛び出した。 「……………」 部屋に残されたタルトは、目の前に散乱する砕け散ったチョコをつまんで一言。 「うむ、苦い」 ――――真のチョコレート戦争が今ここに始まったのだった。 |