- 35歳の少年ってどうなのよ -
 その日、店先に『10分休業』の掛け看板が出現した。実に一年ぶりのことである。
 風呂から上がってきたおじいさんがハンドタオルと共にその看板を首にぶら下げていたので、バレンタインが受け取って掛けておいたのだった。
 それからシャッターを閉めて、二人はカウンターで横に並んだ。
 おじいさんはカゴに入っていたクッキーを2枚取り、バレンタインに渡した。
 バレンタインは無言で受け取り、ぽりぽりと無表情で噛む。
「今年も……やるの?」
「そうじゃよバレンタイン。しかも今回の探索先は日本らしいぞい」
 嬉しそうに言うおじいさんに、バレンタインは手元のハート型クッキーを二つに折りながら答える。
「――――そうなんだ」
 一言述べて黙り込んでしまった彼女に、景気付けでもしようとおじいさんは口の端を吊り上げて更に笑顔になって言った。
「のぉバレンタイン。日本でいい彼氏でも作って」
「気を使わないで。私はお菓子が大好きなのよ。恋人なんて3日で焼いて食べちゃうわ」
 ぽりぽり、とクッキーを噛む音だけが店内に響く。
 おじいさんは目を点にして、自分が風呂に入っていた間にバレンタインに何があったのか考えてみる。
 もしや、元彼が――――いやいや、彼氏はいたことがない。
 もしや、加齢臭が鼻につく――――いやいや、それを考慮してしっかりと脇の下までごしごしと洗って来たではないか。
 さらにハーブの匂い消しも付けてきた。
 完璧のはずである。
 おじいさんはむすっとしてそっぽを向いたまま、ちょっとずつクッキーをかじるバレンタインの横で頭を抱えてうずくまってしまった。
(ワシが、何をしたっていうんじゃい)
 そんなおじいさんの内心はさておき、バレンタインの内心は熱狂していた。
 まるで戦勝国の凱旋パレードのように、彼女は心の中で歌い、絶叫しながら喜びを感じているのだ。
(日本――――まさか日本に行けるだなんて!!)
 母の母国。まさに母国、それが日本。
 彼女は前から折を見て旅行に行こうとでも思っていたのだが、毎年にように依頼されるスイーツトレジャーの仕事のせいですべてキャンセルをしていた。
 バレンタインの持ち場はヨーロッパ周辺が常であり、一度イギリスの北部に赴いた時は寒さのあまり髪の毛が凍って大変なことになったのである。
 襲いかかってきた現地のコヨーテとその凍った髪の毛で戦ったのはあまり思い出したくない思い出である。
 それ以来、寒い所が大嫌いになった。
「おじいさん。行くわ」
 バレンタインはなるべく素っ気ない振りをして椅子からぱたりと降りる。
「へ……? いいのかいバレンタイン? 文句を言うならワシに」
「おじいさんには罪は無いわ。お願いだからそんな顔しないで頂戴」
 そう言われて、おじいさんはハッと自分の顔を平手打ちのように容赦なく叩く。
 面の皮が厚いため、このぐらいしないと目が覚めないのだ。
 それから、ポケットから緑色のキャンディを取り出して口の中に放り込む。
 自身特製のお目覚めハーブキャンディ。眠くなって来たときには重宝する代物である。
 それをガリガリと噛みながら、もう一個をポケットをまさぐって取り出しバレンタインに渡す。
「ほれ。何があったか知らんが、ワシはおぬしの元気が無いということぐらいわかっとる。これでも舐めて元気を出しなさい」
「ボリボリと噛んでいるのに舐めなさいと言われても……流石のおじいさんだわ」
 バレンタインは既にはめていた手袋を一旦取り、おじいさんからキャンディーを受け取った。
「でも、おじいさんの作るお菓子は世界で一番好きよ。もらっておくわ」
「いやはや、照れるわい……」
 自分の言葉に頭をぼさぼさと掻いて照れまくるおじいさんを一瞥し、軽く頭を下げてバレンタインは店を出た。
 
 
 ◯
 
 
 外に出ると、冷たい空気がバレンタインの頬をぴしゃりと撫で付けた。
 空は小さい子供が頬を赤くしたように染まり、道路の脇に規則正しく植られている街路樹の葉はプリンのように淡い黄色に退色している。
 そして、風が吹く度に何枚かが優雅にゆっくりと落ちて行くのだ。
 すでに11月も半ばを過ぎて、パリでもいよいよ本格的に冬へと季節が移り変わり始めている。
 バレンタインはそんな過渡期の街をそそくさと歩く。
 目指すはマスターピーススイーツ協会。略してMPS協会である。
 彼女はここに雇われている身分であり、仕事もここからもらってくる。
 おじいさんも昔所属していたらしいが、あまり詳しい話は聞いたことが無かった。
 ただ、小さい頃に聞いた武勇伝がスイーツトレジャーのものであるならば、きっと大活躍のしたのだろう。
「スイーツは一国を救う……ね」 
 おじいさんの口癖を意味も無く復唱してみる。
 なんでもとある製菓業者の悪事を暴き、さらにはとある国とその業者の癒着を摘発し、重税に苦しんでいた国民を救ったそうである。
 しかし、スイーツトレジャーの仕事は国を救うことではなく、世界に散らばるマスターピーススイーツを収集すること。
 おじいさんのやったことは全く見当はずれのボランティアである。評価されることに違いは無いが。
 
 バレンタインがMPS協会の元で働き始めたのは彼女が物心付くか付かないかかぐらいの年齢で、当時は天才少女と持てはやされたのも既に過去の話。
 今では普通の一協会員として黙々と働く日々である。
 それでも心のおける同僚は沢山できた。
「あっ、バレンタインさん!」
 突然後ろから声をかけられ、バレンタインは硬直する。
 目の前にはMPS協会の建物。誰かは容易に予想が付く。
「カカオ……心臓に悪いからやめて頂戴」
「あぁ、すみませんでした。久しぶりなもので」
 バレンタインの前に笑いながら回り込んで、愉快にお辞儀をするこの少年、MPS協会の同僚の一人で名前をカカオという。
 短めのブランヘアーに丸っこい顔。しかし年齢は35歳というから人は見た目によらぬとは言ったものである。
 バレンタインが小さい頃からの先輩として、仕事の苦楽を共にしてきた仲間であり、バレンタインが一番殴った回数が多い仲間である。
 というかカカオしか殴っていない。
「前回は単独でトレジャーしてましたよね。僕寂しかったです」
 実はバレンタインが申請したのだった。年頃の女の子に刺激の強すぎるカカオはいらない子扱いされるのが常である。
「あら、私は別に寂しく無かったわ。むしろいつもより経費もかからなかったし。あまったお金でお洋服を買ったのよ」
「やや、また一段と綺麗になりましたね。今ままで寂しくて正解でした。これからきっと、僕の夜は寂しくなりませんよ」
「一生ロンリーがお似合いよ!」
 バレンタインの白い太ももが、ハイキックによってカカオの顔にのめり込む。
 爆竹が破裂したような音がして、カカオは吹っ飛んだ。
「まったく……いい加減下ネタはやめて頂戴」
 ハンカチを取り出して、バレンタインは太ももを綺麗に拭いていく。
「いてて……また柔らかくなりましたね」
「だまらっしゃい!」
 
 ――――協会のボコスカコンビが、ここに再結成されたのだった。


 

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