- バレンタインの憂鬱 -
エスプレッソ・バレンタインはお菓子職人の彼女のおじいさんが大好である。 正確に言うと、世界で一番好きなのはおじいさんの作るスイーツで、おじいさんは二番目に位置する。 けれど、その世界で一番のスイーツを作れるのはおじいさんしかいないので、結局バレンタインにとってはどちらも同じくらい好きなのだった。 そんな、エスプレッソ・バレンタイン。 ただいま16歳のフランス人である。 国籍上ではそうだが、彼女の父親――――やはりお菓子職人である――――はフランス人で母親は日本人。 つまり混血。 そのため『髪は漆黒、瞳は真紅。その名はエスプレッソ・バレンタイン』などと本人が名乗るかといえば もちろんそんな訳もなく、むしろ年頃の彼女にとってはコンプレックスにさえなってしまう可能性の方が遥かに高い。 例えば、年頃の男の子に誘われても告白されてもバレンタインはスネる 「バレンタイン、今度デート行こうよ」 「映画館で私が見つからなくなるわよ」 「バレンタイン、実は……好きなんだ!」 「ジブリが好きならビデオショップに行けば? 私はあなたの真っ黒くろすけじゃないのよ」 勘違いされないように断っておくなら、バレンタインは別にドMでもツンデレでもなんでもない普通の年頃の女の子である。 しかしながら、年頃の女の子の自意識過剰というものは酷くなると病気のように精神を蝕んでいくものらしい。 現在のフランスで黒髪など別に普通のはずなのに、彼女はそれを気負う。周りの友達が、家族が「気にすることなどないさ」と言うとさらに気負う。 どうすりゃいいんだと周りは憤慨する。 バレンタインも憤慨する。 彼女はそれを「気にすることなどないさ」となだめられる。 以下略。 ◯ バレンタインのおじいさんのお菓子家さんは、シャンゼリゼ通りのはじっこでひっそりと24時間年中無休で営業している。 それを実現するためにおじいさんはいつ客が来てもいいようにカウンターで寝ているし、風呂・食事・トイレはバレンタインに店番を頼んで5分で済ませる。 お菓子はもちろんカウンターの横で作っているのだ。 だからいつもお菓子はできたてのホカホカなのよ、とはバレンタインの談。 「おじいさーん! 今日も来たわよ!」 「おぉ、バレンタイン!」 クエークエーと意味深な入り口のベルを鳴らして颯爽とやって来たバレンタインを、おじいさんは優しくて大きいハグで迎える。 ちなみにあだ名は熊男。 「今日も元気でなによりだわ。ちゃんと長生きして頂戴ね」 「この世にお菓子がある限り、ワシは死なんよ」 決め台詞を言って、おじいさんは頭に巻いていたバンダナを外す。 「じゃ、ワシ風呂入ってくるからの。よろしくたのむぞバレンタイン」 「まかせて頂戴」 丸太のように大きな腕を大きく振って、おじいさんは店のおくに消えていった。 「ホントに死ななそうなのよね……あ、これは死亡フラグだったわ」 カウンターの大きな椅子にちょこんと腰掛けて、バレンタインは小さなミニノートを開く。 自分専用の愛機で名前はトムソン。 真紅のボディに大きなハートのシール。 いかにも年頃の女の子のような行き過ぎたデコレーションである。 このトムソンを使い、彼女は世界の流行りを確認して毎日自分を更新している。 今の死亡フラグというやつも、昨日見た動画で日本のアニメキャラが言っていたのをマネたのだ。 「昨日のアニメの中で、ですのっていう語尾を使うキャラいたわね……」 などと言いながら、実際ちょっと使ってみたくなるのが乙女心。 「マジで使っている人がいたら、見てみたいものですの」 こうしてさり気なく使う。そして少し満足して次の動画へ。 (今日のオススメがアニメだらけ……履歴消しておかなきゃだめね) ちなみにバレンタイン、母親のおかげで日本語は普通に出来る。 そのためこういう現代日本文化にもよくよく手が伸びるのであった。 元々フランスでアニメがブームになっているということもあるのだが。 それでも同じ年頃の人間は、意外とそういうものに冷たい目を向けてくる。 そのためいつしか、彼女は趣味を隠すようになった。 別にオタクというほどでもないが、やはり負い目を感じている。 と、その時クエ―クエーとベルが鳴った。 決して食え、食えなどとは言っていない。もしそうでもフランスでは意味が無い。 「えっと……このクッキー2枚ください」 客は若い感じの男性。 バレンタインはチラリと顔を確認する。 結構なイケメンだと彼女は判定した。 「はい、これを2枚ですね。かしこまりました」 いつものように手際よく、くすんだ茶色の紙の子袋にクッキーを入れていく。 まだ温かいのがほんのり袋越しに伝わってくる。 代金を受け取り、袋の先を軽く折って手渡す。 「どうぞ、こちらです」 「ありがとう」 笑顔で渡して、笑顔をもらう。 バレンタインの等価交換は物だけにあらず、なのだ。 「いやぁ……あんな彼氏ほしいわね……」 笑顔で客の背中を見送り、出て行ってから本音を一言。 そこに漂う哀愁は彼女の心情そのものなのかもしれない。 (でも、作ったってどうせ、破局は目に見えてるのよね……) どこかの映画のワンシーンのように、ひじをついて大きなため息を吐く。 彼女がこんな風に諦めの青春を送っているのには訳がある。 先程触れた、コンプレックスなどでは決してない。 真の理由。 それこそがこの物語の全て。 ――――エスプレッソ・バレンタイン。彼女はスイーツトレジャーなのだ。 |