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 人間疎外。
 なんて言葉があるらしいけれど、今の僕には無縁な言葉だと阻害してみる。
 脳内で阻害しながら、僕は前田さんに話しかけた。
 まだコーヒーのぬくもりがあるのか、女の子らしい華奢な両手で紙コップを大事そうに包み込んでいる。
 早く飲めばいいのに、なんて思ってしまうそこのあなたはナンセンス。
 残念ながら僕と同類だ。
「前田さん、なぜここにいるんでしょう?」
「なぜと聞かれたら答えたくなくなるのが女の子です。あと、私のことはまこと読んでください」
 なるほど僕の聞き方がご都合主義満載の定型文万歳状態であるからして、つまりもっとナチュラルになればいいと自己反省してみる必要があるようだ。
 けれど、どこぞのRPGの分かりやすい主人公みたいに自らのあだ名を名乗るのも、今の時代では結構痛いと思うんだ。
「じゃぁ、まこちゃん。ここにはよく来るの?」
「えぇ。始めて来ました」
「そっか」
 僕は空になった紙コップに少し力を込めてみる。
 少し形がいびつになった。
 僕の心はどうだろう。
「嘘はもう少しわかりやすくついた方がいいと思うよ。君がこの店に入る時、慣れた感じがしたんだけど」
「嘘じゃありません。私はこの店初めてです」
 少し語気を強めてまこちゃんは否定した。
 ふむ。
 それなら僕は、次の疑問を彼女にぶつけてみよう。
「まこちゃんの苗字って前田だよね」
「えぇ。実は私の実家、前に田んぼがあるんですよ」
 どうでもいいローカル情報を付け加えてもらったけれど、あんまり嬉しくはない。
「それ、さっき話した僕の住んでるアパートの大家さんと同じ」
「えっ」
 奇遇、と言うほどのことでもないとは思う。
 前田という苗字なんて日本全国どこにだって生息しているに違いは無いし、僕の会社にも前田が二人いる。
 ちょっと、多いとは思う。
 だけど、僕はここでやっぱり探りを入れてみたいのだ。
「君の探している人、その人だと思うんだよね」
「えっ、あなたなんで――――」
 同様を隠さず、言い寄るまこちゃんの両肩を、僕はゆっくりと受け止めた。
「スーツケース持ってこういう店に入るのって、珍しいよね」
 暗い色だったから、最初は気づかなかったけれど、彼女はゴロゴロとキャスターの音を立てながら店に入っていった。
「あと、あまりお金も無いみたいだね」
 こんな店で一晩を越すだなんて、世に一般に言うネットカフェ難民のような人たちが多い。
 普通のビジネスホテルにすら泊まるお金が無かったと見える。
 女の子がこんな所に泊まるだなんて、今の時代ある意味自殺行為だ。
「…………」
 まこちゃんは、黙って僕がしゃべるのを聞いていた。
「とりあえず、君がこの辺に住んでいないというのは分かるよ。さっきの話は無理にしたんだね?」
 秋葉原はここに近い。
 さり気なく、近場の住民ということをアピールしたかったのだろう。
 毎日のように秋葉原に通っていれば、あの事件に遭遇する確率も上がるに違いないという一般理論。
 いや、確率論か。
 暗黙の内に、私は首都圏在住なんですよ、言っているのが読み取れた。
 なのにスーツケース。
 何か隠しているのだろうか、とそこから僕は推測したのだ。
「全部、僕の妄想なんだけれどね」
 妄想も想像も推測も、やっていることは皆同じ。
 頭をちょいと使っているだけ。
「…………」
 僕が口を閉じてからも、まこちゃんは驚きを瞳に浮かべながらしばらく黙っていた。
 それは、いきなりぺらぺらと自分の妄想を語りだす気狂い男への哀れみを通り越した感情か。
 それとも、全てを言い当てられて何と反応すればいいか分からない、ショートしてしまった感情か。
 
 僕は後者に賭ける。
 
 果たして――――

「…………どうして分かったんですか」

 賭けは僕の勝ちで終わった。


 ◯


「全部僕の妄想だよ」
「妄想なわけないじゃないですか! どうして分かったんですか!?」
 血走った目、とまでは行かなけれど、まこちゃんは随分と慌てている。
「だから僕の妄想だって」
「いい加減にしてください!」
 まこちゃんは僕のネクタイをつかんで引っ張り上げる。
 首が少し締まって苦しい。
「とりあえず、その慌てぶりから、君の必死さは伝わってきたよ」
 偽って、自分の裏側に溜め込んできた感情が吹き出ると、人はこうなってしまうのだろうか。
 だから僕は、ワルキューレちゃんも、たまには自分自身の生活を楽しまないといけないと思うのだ。
「君のお父さんかな。僕の知っている大家さんという男は」
「ッ……!」
 まこちゃんの体が硬直する。
「ついさっき、楽しく話してきたんだけれどね。そこで改めて人間の恐ろしさを感じたよ」

 前田 無一 (まえだ むいち)

 ――――コーポ清水台の大家さんは、日本の犯罪史に名を残し、未だ逮捕されていない連続殺人犯でもある。

 

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