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 外に出ると久々の冷たい夜風が僕を出迎えてくれたので、今まで坂本君が与えてくれていたぬくもりのかけがえの無さを実感した。まぁ、別に生きている人間であれば誰とでも取り換えが利くのでかけがえの無いというのは間違いかもしれないけれど、そんなことは考える必要に迫られる第百番目だと言っても僕の脳内国会は間違いなく万歳万歳とファシズム国家のごとく大賛成してくれるので考えるのはやめよう。
 
「本当ぬくもりなんて、恐らくこの世界のどこにだって、存在することは無いのだから」
 
 と、詩人的な一言をぽつりぽつりの途切れ途切れに言いながら僕は古びた階段を降りて大家さんの部屋へと向かう。
 このコーポ清水台の大家さんというのがまた、いわゆる普通の中年のおじさんなので僕は安心して彼の部屋に向かうことができるのだ。
 なぜなら会社にいる時の様に気を使うことが無いからだ。
 ―――考えてもみてほしい。
 もしこのコーポ清水台の大家さんがカリスマ美容師だとしらどうだろう。
 僕はまず、服装に滅茶苦茶な気を使わなければいけないだろうと考えてユニクロ通いを止めてしまう。
 それから銀座辺りに行って最新のトレンドを追い求めるために大量の諭吉を使うハメになることはもう想定内の範囲の想定内だ。大家さんの部屋にたどり着くまでに素寒貧でここから退場である。
 そして、もしこの服装のままで突入した場合は間違いなく説教が始まってそれで日が暮れる。お前のその格好は日本の恥であると同時に世界の恥で地球の恥だ、今すぐケネディ宇宙センターに片道宇宙旅行の予約を入れろと怒鳴られては流石の僕もかなわないのである。
 
 
 ◯
 
 
 そんなこんなでくだらない妄想が僕の脳みそ耐久力を遥かに超えてしまうという悪寒として僕の体全体に駆け巡ったので止めにしよう。それにもう目の前には大家さんの部屋のドアが対峙していた。
 僕はなんの飾り付けもない無地なドアの表面を軽く二回ノックした。
 コンコンと、狐が嫁入りする時に厳かに鳴いていそうな透き通る音がした。
「はい」
 部屋の中から中低音としか形容出来無さそうな声が聞こえた。
 世に一般のおじさん声と変換しておこう。
 ドアは静かに開き、そこにはカリスマ美容師――――ではなく、予想通りいたって普通な中年男性が立っていた。
 そして一言。
「君を待っていたんだよ」
 僕は昔見た映画の中で、某大佐が似たような台詞を言っていたことを思い出す。
 そういう時に限って大抵待っているのは不幸や災難なのだ。
「はぁ」
 だから僕はできるだけそういう厄介なものをこちらに引き付けたくないという意志を暗に示すように、ため息混じりにそう言った。
 すると、大家さんはドアに手をかけたまま僕への眼差しを少し鋭くしてきた。
「おかしいとは思わなかったのか?」
 はて。
「何がです」
 と反射的に僕は返す。まさしく反射。リフレクター。
「他の住民がいないことに、だ」
 大家さんは一つ一つの言葉に重みを置いて、僕に迫る来るように言い寄ってきた。
「いや、隣の坂本くんと話してきたばかりですが」
 少々怯えながら僕が答えると、彼は鼻息を荒くするのだが、距離が近いので顔に吹きかかってきて生暖かくて気持ち悪いのでやめてくださいと僕が言おうとした矢先、ゆっくりと口を開いた。
「……彼だけだよ。ここが停電してから残っているのは」
 言って、顔を上に向ける。
 もしかして坂本君に気でも送っているのだろうかと観察を始めたら、気付いたように大家さんは
「あ、あと君もか」
 と僕の存在を思い出してくれた。
 まぁ、別にそこに触れる必要は無かったと思うのだが。
「はぁ。他の人はどうしたんですか」
 それよりもまず、他の住人の行方を僕は知っておきたい。
「みんな一時的に避難してもらったよ。帰省とか里帰りとかでね」
「大事なことだから二回いったんですね。でも大袈裟じゃあないですか。たかだか送電線一本切れただけで」
 全く、最近の日本人は何かあると大げさに騒ぎすぎだと思うのだ。
 僕個人の意見としては、特番で視聴率を稼ぎたいテレビ局の陰謀だろうと推測するのだが、その話を会社でしたら同僚に笑われたのでもう一生この話を人にすることは無いだろう。
「その送電線一本を修理するのに一週間かかると言われてもそう思うかね」
 大家さんは眉間にシワを寄せる。10年は老けた、確実に。
「はぁ…………って一週間!? かかりすぎでしょう。仕事して下さいよ」
「私の仕事は果たしたさ。それでこの結果だよ。本業の方が他にも仕事があるそうでな」
 大家さんは両手をあげてまさしくお手上げだとボディランゲージで僕に全身で伝えてくれる。
「この国のフリーター・ニート達を黄色い魔法の本で召喚することが必要ですね。今すぐに」
 右手に電話。左手には履歴書を装備だ。
「素人に仕事を任せるのか?」
「うっ」
 ごもっとも、である。
 大家さんは言葉に詰まった僕を馬鹿にするような視線を送ってから両手を降ろす。
「まぁ、そういうことだ。さて、君はあの浪人生と人生を共に浪人するのかね」
「面白くない上に破綻してますよ……いやまさか、僕にも仕事がありますし」
 それこそ人生を浪人するどころか斬り捨て御免の緊急事態である。
「ならさっさと里帰りとするんだな」
「いやいや、大家さん。そんな突飛なことが通用するほど会社はあまかないですよ。まだ入社二年目の若造になに言ってるんですか」
 本当に切り捨て御免をされてしまう危機を感じて、僕は大家さんにすがってみることにした。
 すると、彼は一発鼻息を吹き出してから
「なら好きにしてくれ。言っておくが、こちらで臨時用の仮住まいを提供すりつもりは毛頭無いからな。こっちも修理費用で手一杯なんでね」
 と、血も涙もない事を言いやがった。
「そんなぁ」
「会社と同じで社会もそんなに甘かないんだよ」
 くう……上手いこと言われてむかつく。
 こんな中年男性は嫌だのコーナーがあったら今度投稿しておこう。
 けれど、僕だってこうして今まで上手いこと人生を渡り歩いてきたのだ。
 こんなところでゲームオーバーは御免である。
「そこをなんとか」
 頭を下げるオプションを付けた。
「君もしつこいやつだな」
「ぼく、ドラクエとかで同じ人に最低三回は話しかける根気強い人間ですから」
 おかげで今までゲームオーバーを体験したことはない。レベル上げも徹底的に行うからだ。
「本当に迷惑な勇者だな……そうだ、一つ提案しよう」
 どうやら僕の行動は大家さんの心を動かしたらしい。
「いや、一つでも二つでもいくらでも提案して下さいよ。大歓迎です」
「おだてても無駄だ。提案というのはな……送電線を切った犯人を捕まえて欲しいということだ」
 僕はどうにも大家さんの言ってることが分からない。
「そりゃまたなぜ、どうして」
 そこで月並みの疑問詞を押し並べてみた。
「君も見て分からなかつたのかね。あれはどう見ても自然に切れたのではなく、人の手が加わってるよ。間違い無い」
 間違いない、ともう一度大きく大家さんは頷いた。
 正直大事なことだと思わないのでやめてほしい。
「言い切りますね。でも、犯人もう逃走しちゃってるかもしれませんよ」
 ファミコンの推理ゲームのように、都合よくその辺をへらへら歩いているならこの世に警察もげんこつもいらないだろう。
 だが、大家さんは大きく首を振って言った
「いいや。これは私の勘だがね、犯人は間違いなくこの辺りに住んでる」
「すごい自信ですね。銭形警部も顔負けだ」
 ぶっちゃけあの人は警部より超能力捜査官をやった方がいいと思う。
「リアルタイムで視聴していた私への褒め言葉として受け取っておくよ。それは」
 なるほど、察するにこの人は一番最初のシリーズを見ていたに違いない。
「でも、捕まえてどうするんです」
 まさか火あぶりの刑に処すとでも言い出すのだろうか。
 僕なら彼女に浮気という大罪を犯されても、こちゃこちょの刑で済ませるという広すぎて東京ドームがいくらあっても足りない心を持っているのに。
「賠償金を請求する。」
「あぁなるほど。目ざといですね」
 僕は率直な感想を述べた。
「目ざといのはどっちだ」
 うん、その意見も率直でよろしいと思います。
「ま、とにかく犯人捕まえればいいんですよね」
「そうだ。捕まえた暁には、犯人からふんだくった賠償金から最低一割はくれてやるぞ」
「嬉しいような嬉しくないような」
 とりあえず、セコいことには違いない。
「そんな台詞を吐くのは犯人を捕まえてからにしてくれ――――なぁ田山君」
 大家さんは声を潜める。別にこの近くによからぬ陰謀を聞かれて困る誰かがいるとは思えないのだが。
「なんですか」
「私はね、どうも君の隣りの浪人生があやしいと思うんだ」
 再び大家さんは上を向いた。
「何を言い出すかと思えば」
「いや、根拠はある。彼は今一番受験生として大切な時間を過ごしている訳だが、その時間に対して今までのこのアパートの環境は適切だったかと思うかね」
「何が言いたいんです。とりあえず冤罪は辞めましょうね」
 犯人とこの人どちらがブタ箱に転送されるのが先だろうか。
「話は最後まで聞け。ようするにだな、彼にとって今まで、このアパートに住む他の住民は騒音の元にしか感じられなかったのさ。そして、そんなやつらを簡単にここから出てゆかせる簡単かつ確実な方法――――」
 大家さんは、皆までは言わないぞと僕にアゴで語った。
「――――それが今回の停電騒動という訳ですか」
「そういうことだ。証拠は無いがな」
「ええ、あなたの彼を憎む気持ちひゃくぱーせんとの名推理でしたよ」
 流石、普段から仲が悪い訳である。
「悪いのは向こうの方だ。こちらの勧告を聞きもしないで残っているのだからな。疑われてもしょうがないだろう」
 当然だ、とばかりに大家さんはふんぞり返る。
 僕はどうもそんな態度が気に食わない。
 どこぞのマフィアのボスですかと言いたくなる。
「確かにそうかもしれませんが……あなたも今言ったように彼は浪人生です。受験に命を賭けてるんですよ。まさしく一所懸命を地で行ってるじゃありませんか。疑うべきではないと思います」

 大家さんの主張も僕の主張も一応筋は通っているので、相殺されて坂本君は容疑者になることは無いだろう。
 だが、坂本君はなぜか都合よくローソクを持っていた。
 通販で買ったと言っていたが本当なのだろうか?
 それに彼の昼間のアリバイは誰が証明する?
 
「ふん、とにかく犯人探しを頑張ってくれ。期待しているぞ」

 ――――僕が、やるしかないのか。
 

 

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