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 無駄に息を切らせながら階段を駆け上り、僕はマイルームへと通路の端まで駆け抜けた。
「ハァ……ハァ……」
 ドアを前にして、いざドアを開けにゆかんと手を伸ばすが、もちろん缶コーヒーが握られているのでドアノブは回せない。思わずその手の先に目が行った。
「そ、そうだ。二人分買ってきたんだっけ」
 握り締められた缶コーヒーをまじまじと見つめて、僕は少し冷静さを取り戻した。と言えばいいように聞こえるが、実際は気が動転していて目の前の問題をすり替えてしまっただけである。
 
 もちろんそんな無意識の心の働きに主体である本人が気付くはずもなく、僕は自分の部屋のドアの右隣にある、日の丸ドアの前へ移動した。そしていつものようにノックをするのだが、今回はどうせ持っていたのだからと缶コーヒーで盛大にノックした。はたはた近所迷惑である。
「おーい坂本君! 僕だよ僕、田山だよ! コーヒー飲みながら話でもしようよ」
 ノックと同時に部屋の中へお隣の田山だと声高らかに宣誓する。決して僕僕詐欺ではない。
 こちらがアクションを起こしてからしばらく待ってみるが、返事が返ってこない。僕は早く缶コーヒーを飲みたいという生理的欲求と、先程目撃した非日常に挟まれてその場で足踏みを始めた。我ながら危ない奴だ、不審者だ、などと思える行動だが致し方が無い。それだけ危機切迫した状況だったのだろうと思っていただければ幸いである。そうしているうちに我慢できなくなってきて、もう一度ドアを缶コーヒーでノックしてやろうと振りかぶった瞬間、ドアの向こうから声が聞こえた。
「どうぞ、ドア開いてますから」
 坂本君の声はいつもと変わらず低く、安定した落ち着きをドア越しに教えてくれる。僕は安心しきってドアを思い切り開けた。

「…………」
 
 ドアの向こうには暗闇が広がっている。そしてそこに、ただ一つ浮かぶのは坂本君の首だけ。頭にはいつものように日の丸ハチマキが巻かれていて、彼の浪人生ぶりを引き立てている。まるで絵に書いた苦学生だが、僕はもう慣れているので気さくに話しかける――――はずだが、あまりにも彼の表情が(悪い意味で)ホラーかつリアリスティックに富んでいたため、僕は腰を抜かして驚いた。
「うわっ!! お化けだ、お化けがいる!!」
 思わずその場に文字通り腰を抜かして尻餅をつく。肛門の辺りから脳天まで直通の直撃が走り、僕はうめき声を上げて倒れた。尻餅をついた時にぶつかったため、ドアは閉じてしまった。すなわち部屋の中は真っ暗になってしまうのだが、ただ一つ、坂本君の入っているこたつの上に置かれたローソクが粛々と部屋を照らしていた。
「大丈夫っすか、田山さん。俺なんかやらかしちゃいましたかね」
 坂本君は心配そうに僕に声をかける。声には表情があるのに顔には表情が無い、なんとも形容し難い様子である。
「あ、あぁ大丈夫。ちょっと驚いただけだよ」
 なんとか腹から声を絞り出し、僕は体制を立て直しつつ「ほら、コーヒー」と缶コーヒーの一つを彼に放り投げる。ぱしりと音がして、無事向こうが受け取れたことを確認してから、僕はのそのそと唯一の光を放つローソクの元へ向かっていく。
「いいんっすか。俺この前のおごりの分も払ってないんですけど」
 少しづつ近づく僕を見上げながら坂本君はつぶやく。それから静かに缶コーヒーをこたつの上に置いた。コトリ、と音がするいかにも彼らしい置き方である。
「大丈夫大丈夫。それより、さ」
 僕はおじゃましますと小声で言って彼のこたつにお邪魔する。あぁ、なんと温かいことか。僕は久しぶりに感じる温かさにほっと一息ついた。
 そのせいだろうか

「一体全体、どうしてローソク?」

 台詞を滅茶苦茶省略してしまった。
「はぁ」
 それでも「はぁ?」ではなくて「はぁ」と答えてくれる坂本君はやっぱり優しい奴なのである。
 その優しさに甘んじて、僕は省略箇所を補いつつ再び彼に尋ねる。
「一体全体、どうして――――送電線が切れて――――こんなことになってしまったんだろうか? そして坂本君。君はなんでローソクなんて持っているのかな?」
 少々つまづいてしまったのは、先程の尻餅の痛みがぶり返してきたからだ。
「……送電線が切れてるんすか? 俺はてっきり発電所が爆発したのかと思いましたよ」
「いやいや、そこからかい」
 そういえば、彼は滅多に外出しないのだった。なにしろ受験生、しかも浪人なのだ。彼は栄光ある宅浪剣士坂本なのである。今年こそは合格することを祈る。
「ついさっき帰ってきてね、最初部屋に入った時は君と同じ――――いや、似たような事を考えたよ。それからすぐにこれを買いにいったんだ」
 言って、僕は手元の缶コーヒーを軽く指先で回す。
「その帰り道で発見したんだ。送電線が切れてるのをさ」
 ぷっつんとね、と唇を尖らせて付け加える。
「それって田山さんが第一発見者ってことじゃないすか」
「ま、そういうこったな」
 坂本君がまるでミステリー小説のように表現してくれたので、僕もそれに便乗して少し自慢げに肯定したのだった。
「で、いつごろから電気は止まってたの?」
 少なくとも昨日から今日の朝僕が出勤するまでは電気は通っていたはずである。
「えっと……夕方頃っすかね」
「ほう、夕方か」
 僕が相槌を打つと、彼は慌てて言い直す。
「あ、俺昼間は電気とか使わないんですよ。だから気付いたのは夕方、ってことっすね」
 坂本君はそれから、とさらに付け加える。
「このこたつですけど、暖かいのは俺の体温のおかげっすからね。熱がこもるんすよ」
「なるほど。人力こたつってわけか」
 なんだか生々しい。別にそれでこたつから足を引き抜こうとは思わなかったが。
「でも電気が切れたら流石に分かるんじゃないか?」
「いや、壊れてるんす、これ」
 もぞもぞと動きながら坂本君は否定した。
「でも………証明はできないよね」
 僕も彼につられてもぞもぞと動きながら反論する。
「えぇ、そうっすね。………田山さん、どうしたんすか、なんだか探偵小説の主人公みたいっすよ」
 坂本君は口元に微笑を浮かべた。
「ははは、そう言うなよ。照れるじゃないか」
 僕も負けじと口中に微笑を浮かべる。
 
 ――――この時はまさか、送電線を切った犯人を「まるで探偵のごとく」探す羽目になるとは思いもしなかったのだった。
 

 

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