- 光 -
 午前5時。水平線の彼方で、ようやく太陽の光が確認出来た。
 ミドリは、息を引き取ってしまった。だから、僕はミドリに別れを告げなければならない。


 ○


 静かに横たわるミドリ。まるで何も書かれないまま、清らかな水に浸ってしまったカンバスのようなその肌を、僕はそっとなでた。
「ミドリ………」
 納得がいかない。どうしても納得がいかない。どうしてここで彼女が横たわっているのか理解できない。
 この瞬間、何も無かったかのように起き上がって「ねぇ、食べていい?」と言ってくれることを八回願った。でも、最初から最後まで彼女が起き上がってくれることはない。彼女の白い肌は、相変わらず白いままで、とても血が通っては――――例え、通っていたとしても、僕にはそうは見えなかった。だから、僕は9回目の願いを祈ることを止めた。

 水平線から足を離した太陽が、彼女を照らした。それは、今までに僕の視界に入った、どんな輝きよりも―――――――


 ○


「よぉ、あんちゃん。何してるんだい?」
 僕がミドリを海に葬ろうとしていた時だった。突然男の声が聞こえた。
「こんな船を一人で操ってここまで来たんか?」
 ミドリの体を綺麗にしてやっていたので、気づけなかった。僕としたことが、迂闊だ。
「いえ、医療センターの者です」
 僕はそう言って、目の前の漁師に愛想笑いを送る。すぐに、漁師は頷く。
「あぁ、あそこの方でしたか。いや、すまんすまん、ここいらにはあまり漁に来ないんでな。疎いんじゃ」
 漁師は恥ずかしそうに頭を掻きながら、船内に戻っていこうとした。
 した、のだが。
「父ちゃん!! あの人!!」
 ひょっこりと船内から顔を出した、漁師の子供が叫んだ。その手には――――僕とミドリの顔写真が印刷されたA4用紙。顔の上に、大きな文字でこう書いてあった。
『危険人物・殺人未遂。見つけ次第通報をお願いします!!』
「あっ………!」
 僕は、思わず声を出してしまった。間違いない。あの島から発せられた物だろう。もちろん、政府筋の情報として公開されているに違いない。

 もう、僕に戻る場所は無かった。

 僕の声を聞いてから、漁師が紙から視線を僕に移す。その視線には、もう人の感情は感じられなかった。
「あんた………」
 漁師は僕から視線を離さずに、無線機のようなものを片手に取り、なんだか早口で色々言っていた。

 なんだ、ミドリとお別れしなくていいのか。

 言い終わり、ガチャンと荒々しく無線機を放り投げると、漁師は言った。
「おいらには、見ての通り子供も、妻もいる。後はお国にお任せじゃ」
 猛スピードで、漁師の船は僕の船から離れていった。僕は、それが見えなくなるまで、立ち尽くしていた。

 ミドリ、ミドリ。僕も今行くから。
 
 僕は、運転席にあったライターを手に取り、船の内部へ入った。
 燃料タンクのある場所は、知っている。だから、やることは決まっている。
 僕は、ライターに火をつけて放り投げた。
 
 最後に聞いたのは、音が途切れる音。最後に見たのは、ミドリの肌よりも白い光。

 完


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